コロナの中で変化を見つけるなら。
はてなさんの企画に乗っかります。
抽選でAmazonカードがもらえるらしい。
「コロナウィルス」という言葉を聞かない日はない。
3密を避ける、感染対策を前提とした新しい生活様式が当たり前になりつつある。
外出時には必ずマスクをつけるし、消毒も手洗いも日常になった。
単純に感染対策というだけでなく、それをきっかけにして生まれたサービスや概念がある。
例えばオンラインの利用やUber Eats。
これまで必ず対面していた面接や商談なんかも、オンラインでやろうと思えばできるし、っていうか手間暇を考えたらこっちのがいいやん、という発見もあった。
在宅勤務だとかもそうだけど、社会の中に大きなうねりが出来たと思う。
長い目で見れば、マスクや手洗い以上にこういう変化こそが、社会に大きなインパクトを与えるのかなと思う。
コロナウイルスの拡大なんて、ない方が絶対によかったけれど。
そこから何か少しでも恩恵が受けられたとしたら、「変化をせざるを得なかった」ことで進んだものがあったことだと思う。
私自身もこれらのことで生活が大きく変わった。
感染対策は割と気をつけた方だと思う。ステイホームも極力守っていたし。
職場では、在宅勤務の導入されたり、会議や商談をZoomで行うようになったから色々とシステムについて勉強したりもした。
でもコロナについて考える時に、
着目すべきは「変化」なのかな?と個人的には思う。
というのは、コロナによっていろんな問題が起きているように思うけれど、それは実は「もともとあったもの」が多いから。
また、方法や仕組みが変わっても恐らくその中に「核」まで変わることはない。
非常時にはそのものの本質が露わになってしまう。
だから、コロナを機に本質を見つめる大切さが問われているのだと思う。
例えば、政治について。
コロナの対策には賛否があるだろうけど、政府はコロナ後に発足した訳ではなくて、前からあったもの。(安部さんは変わってしまったけれど)
「あべのマスク」は今となれば笑い話みたいになってしまったけれど、この根本の問題は非常時によりフィーチャーされているだけで、実はずっとそこにあったのだと思う。
企業がオンラインや在宅勤務の導入を行ったけれど、水面下ではそれをうまく活用できている所とそうでない所があるはずだ。
それはコロナがどうというより、元々その企業が抱える体質だと思う。
非常時を機に違いがあらわになっただけで、本質的に言えばもっと前からその「差」はあったのだと思う。
そしてこれは多分個人にも言える。
コロナを機に自分の仕事や将来のことが不安に感じたけれど、その不安はもっと前からあったもので、それがコロナをきっかけに表面的になったというだけだと思う。
なんだか卑屈になったり、イライラしたり。
「自分はこのままでいいのか」なんて考えることも、今まで見て見ぬフリをしていたことが表面に浮き上がっただけだと思う。
でもそれは悪いことばかりではない。
例えば、コロナで在宅やステイホームが増えたけれど、旦那とはなんだんだ仲良くできた。
それが嬉しかった。
前以上に各々の時間を尊重できるようになったし、一緒に楽しいことを探そうとする姿勢も身についたかなと思う。
改めて、本質的に優しい人だなと感じることもできた。
またステイホームで時間ができたことで、去年は読書に時間を注げた。
多分50冊ぐらいは読んだと思う。
あとブログをやりたいなーと改めて気づけたし、実際に始められた。(続けられるかは知らん)
極限の中で自分に向き合ったことで、やりたかったことを確認できた。
前からあったなんとなくを形にすることができた。
でもそれっていつでも出来たことだよな、バカだなーみたいにも思うけれど。
去年もそうだけど今年も、
withコロナ、afterコロナ時代こそ「変化」は避けられない。
非常時はしばらく続くだろうから、取り繕っていたものが剥がれることもまだ続くように思う。
だからこそここで、本質を見つめ、出来たら見極められたらと思う。
コロナ禍であっても、
会いたい人がいた。
やりたいことがあった。
自分を支えてくれるもの、必要なものがあった。
当たり前が当たり前じゃなくなったからこそ、明確になったもの。
そこにはネガティブな響きも、ポジティブな響きもある。
できればこれが、自分の「大切」を見つける時間になって、コロナにおける変化が「大切にしたいことを大切にできるようになった」であればいいなと思う。