うん、まぁそんなこともある。

何があるのも、何がないのも人生。

誹謗中傷はなくならないか

女子プロレスラーの木村花さんが亡くなったというニュースを見た。
私はこの方を全く存じ上げなかったのだが、
一部報道によるとテラスハウス出演に伴う、SNSでの誹謗中傷がその原因の1つになったのではないか、ということだった。

顔も知らないような見ず知らずの人による心なき言葉達によって、尊い命が奪われたのかもしれない。
もしそれが本当ならとても悲しい。
しかし、その可能性は十分あるなとも思う。
言葉は時に凶器になる。
言葉にはその力が十分あるし、その凶器で複数の人から何度も傷つけられたとしたら、死を選びたくなるのも仕方ないのかもしれないと想像する。


なぜ、誹謗中傷などが行われるんだろう。

SNSが広く使われるようになって、多くの人が簡単に自己表現ができるようになった。
そして、著名人の方とも簡単に繋がれるようになった。
そういった背景はあるものの、なぜそれが「人を傷つける」行為に繋がるのだろうか。


想像するに、それを行う人にとって、誹謗中傷をすることは「気持ちいい」のだと思う。

人によっては、
自分の考えが正義であり自分の思考から外れた人は「敵」だと見なしているのだと思う。
自身が思う正しさを盾にしてしていると、誰かを傷つけることも「正しいこと」「世直し」と感じるのだろう。

特別な意味はなく、それが「ストレス発散」という人もいるだろう。
著名な方はそれも有名税なのだから我慢しろ、と思っている。
恵まれている人は傷つけられても仕方ない、という論調の人もいるだろう。

もしくは、適格に人を非難する力(語彙力)がないから「ブス」とか「死ね」という言葉を使ってしまうのかもしれない。
そのレベルの方は多分世の中をうまく理解できていないだろうから、ほとんどのことが「不快か否か」ぐらいしか判断できていないようにも思う。

罪悪感がある人もいれば、その種の感覚が全くない人もいるだろう。
結局はどこかでその行為に対する正当化が行われている。
つまり「自分は悪くない」「悪いのはその対象だ」というすり替えが起きている。
まして、自分以外にも同じような事をする人がいればいるほど、「自分は悪くない」ことが本人の中でどんどん保証されていく。

 


こういった問題は、SNSやネットの世界が広がれば広がるほど大きくなるだろう。
ではどうしたらいいのだろうか。

1つはTwitterInstagramなどSNSのサービスの提供者がもっと取り締まりや規制を厳しくする仕組みを作ることだろう。
でもこれは私たちの表現の手段が奪われることにも繋がる。
個人的にはこういったサービス提供側に、我々を管理するという思考をあまり持ってほしくはない。

となると、他にできることとすれば法的な措置、罰則をつくっていくことだろうか。
現在の法律はまだまだインターネット社会の発展に追いついていない。
社会がインターネットなしでは存在しない今、法律がより社会を整備できるようなものになっていくことは期待したい。


とか色々考えるけれど。
本当は単純に「誹謗中傷をする人」が自主的に減ったらいいなと思う。

誹謗中傷を行うのは、未成年者も多いと聞く。
画面の向こう側には、自分と同じ「人」がいることが感覚的にわからないのかもしれない。
これは子供でも大人でもそうだし、リアルに対面していてもそうだけど、
自分の言葉が相手にどう響くか「想像する」ことを皆がもっと出来ればいいと思う。

もっと言えば、「社会がもっといい感じだったら、こういうことはなくなるのかな」と思う。
漠然としていて申し訳ない。
自分に満足していて自尊心に満たされている人は、
いい意味で他人に関心がないし、まして他人を攻撃しようとは思わないと思う。
インターネットの仕組みや意味がわからなくても、そもそもその「負の気持ち」がなければ、こんなことにはならない。

先に書いた通り、インターネットが普及して多くの人が「自己表現」をできるようになった。
でも表現したい自己などない人もいれば、それによって承認欲求が以前よりも肥大した人もいると思う。
そういう人が、人を傷つけるという方法で「俺はここにいる!」ことを叫んでいるのかもしれない。
だとしたら、正しい方法でその人が承認され、満たされるようになることを願う。
せめて皆がその努力をできればいいなと思う。
かなり甘い理想論だと思うけれど、私はそういう方法を望みたい。


ちなみに、誹謗中傷を受ける側に「スルーしろ」というのは全く建設的な意見ではないと思う。
スルースキルは中傷を受ける側の人間の知恵の1つであって、本人以外がそれを求めるのは不健全だしおかしい。
セクハラを受けている女性に「気にするな」「魅力的な女ということじゃないか」など言うとの同じぐらいナンセンスだし、それは泥棒に入られたと警察に言ったら「セキュリティが甘いのが悪い」とか言われる世界だ。そんな世界がいいだろうか。

スルーすることは問題の根本的な解決には絶対に至らない。
(なんならその問題を助長するだけだと思う)

このSNS社会では誰もがその「標的」になってもおかしくない。
「スルーしなよ」と言った人は、全く同じことが起きた時に誰かに「我慢しなよ」と言われても文句は言えない。
自分を守るつもりで、この問題をちゃんと考えるのはとても大切だと思う。


こんな誰も見てないブログでさえ、言葉を発するのはどこか怖い。
でもリアル世界では言えない想いを、ネットの海に流せること自体はやはりとても素敵なことだと思う。
匿名性があることは人を強くする、という感覚もわかる。

私はインターネットの世界が好きだ。
強さがよりよい方向に使われて、インターネットの世界がより健やかで楽しいものになることを願う。